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大谷翔平は幼少期から大物だった!子供時代の画像や伝説エピソードも!

にゃお

大谷翔平選手って、幼少期はどんな子供だったのかな?
画像もたくさん見たい!

今、結婚報道でひときわ世間を賑わせている大谷翔平選手。

そんな大谷翔平選手が幼少期から大物だったと話題です。

この記事では、

  • 大谷翔平の幼少期の画像
  • 大谷翔平の小学生、中学生、高校生の画像
  • 大谷翔平の幼少期やプロ入り当時のエピソード

を詳しく紹介していきます!

目次

【画像】大谷翔平の幼少期(子供時代)が超可愛い!

2024年現在、29歳の大谷翔平選手。

そんな大谷翔平選手の幼少期がどれだけ可愛かったのか、画像を見ていきましょう。

幼稚園の頃の大谷翔平
引用元:MLB日本人選手のブログ

こちらが幼少期の大谷翔平さんの画像です。

幼稚園の運動会の写真でしょうか。

一緒に写っているのはお父様です。

にゃお

親子そっくり!

大谷翔平選手は5人家族で、3兄妹の末っ子です。

父と兄は野球、母はバドミントン、姉はバレーボールと、見事なまでのスポーツ一家

大谷翔平選手は193㎝と超高身長ですが、両親も兄も姉もみな平均をゆうに超える高身長なんだそう。

ちゅー

並んだら迫力すごそうだ…!

大谷翔平選手に野球を教えたのは、社会人野球選手の経験があり、現在監督業もされている父親の徹さんです。

長男の龍太さんが野球を始めた時には、仕事の忙しさから満足に教えてやれなかったと悔やんでいた徹さん。

そんな思いから、末っ子である大谷翔平選手にはしっかり教えてあげたいと、一生懸命サポートされたようです。

大谷翔平の幼少期(子供時代)の画像を時系列で紹介

大谷翔平選手の可愛さたっぷりの画像を時系列で紹介していきます!

幼稚園の大谷翔平

大谷翔平さんの幼稚園の頃の画像がこちらです。

幼稚園の頃の大谷翔平
引用元:総合教育研究所

入園式の写真でしょうか、とっても可愛いですね!

にゃお

ぱっちりおめめが可愛い~!

大谷翔平選手は、地元岩手県の奥州市にある「常盤幼稚園」に通っていました。

幼少期から身体を動かすことが好きで、母親と一緒にバドミントンを楽しんだりしていたそう。

また、年長の頃からスイミングスクールに通い始め、小学5年生まで続けていたとのことです。

小学生の大谷翔平

大谷翔平選手の小学生の頃の画像がこちらです。

小学生の頃の大谷翔平
引用元:産経ニュース

大谷翔平選手が野球を始めたのは、小学2年生の終わり頃。

地元にある硬式リトルリーグに見学に行ったことがきっかけでした。

それまでにも父親や兄とキャッチボールをしていたという大谷翔平選手。

実際に練習に参加してみると、すぐに野球の面白さのとりこになってしまったようです。

にゃお

ここから大谷選手の野球史が始まったんだね!

その後「水沢リトルリーグ」に所属し、のちに全国大会に出場も果たします。

周りの子たちより大きく、運動神経もずば抜けていた大谷翔平選手は、並外れたバッティング力でホームランを連発。

さらに小学5年生の頃には、ピッチャーとして110km/hを記録するなど、早くも頭角を現します。

この頃から打ってよし、投げてよしの二刀流だったのですね!

ちゅー

110km/hって、中学生のエース級の速さらしい…

大谷翔平選手が水沢リトルに入団した後、父親の徹さんはチームのコーチに就任し、後に監督も務めました。

父である監督が我が子を試合に使うことを、チームのみんなに納得してもらうためには、圧倒的な実力が必要。

小学生ながらにそう感じていた大谷翔平選手は、誰よりも練習に打ち込んだといいます。

小学校の卒アル

大谷翔平選手の小学校の卒アルの画像がこちらです。

にゃお

さわやか笑顔で可愛い~!

大谷翔平選手が小学生の頃、「野球ノート」という小さなノートが存在しました。

それは父の徹さんと大谷翔平選手が、野球のことについて綴った交換日記のようなもの

その中に度々登場する、徹さんからの3つの教えがあります。

  1. 大きな声を出して、元気よくプレイする
  2. キャッチボールを一生懸命に練習する
  3. 一生懸命に走る

大谷翔平選手は、この3つの教えを今も大切にしているそうです。

ちゅー

基礎的なことをすごく大事にしてるんだね

中学生の大谷翔平

中学生の頃の大谷翔平
引用元:総合教育研究所

幼少期に可愛かった大谷翔平選手は、中学生の頃になると、スポーツマンらしく成長していきます。

にゃお

スマートでかっこいい…!

中学生になった大谷翔平選手は、家から車で一時間離れた「一関リトルシニア」に入団。

エースとして全国出場を果たしており、3年生になる頃にはチームの主将も務めました

また、小学校時代からぐんぐん伸び続けた身長はとどまることを知らず、中学3年間で20cmも伸びたそう。

中学入学時に167㎝だった身長は、卒業時には187㎝となっていました。

ちゅー

中学生の時点でそんなに高かったの!?

中学3年生の頃、球速は130km/hを記録。

あまりの速さにキャッチャーは恐怖を感じ、ボールをキャッチ出来なかったこともあるといいます。

打席に入れば場外ホームランを量産。

ピッチャーとしてもバッターとしても、とにかく規格外だったのですね!

中学校の卒アル

大谷翔平選手の中学校の卒アルの画像は、残念ながら見つけられませんでした。

中学生の頃の大谷翔平
引用元:奥州市公式ホームページ

プレーの凄さに圧倒されるばかりの大谷翔平選手ですが、学業についても勤勉で優秀だったそうです。

高校の先生曰く、「野球だけじゃなく勉強もすごかった。寮の掃除も、書き物も、提出物もきちんとしていた」とのこと。

ゴミ拾いをはじめとする普段の振る舞いが高く評価されている大谷翔平選手ですが、学生時代からしっかりと自分を律していたのですね。

にゃお

野球選手である以前に、人としてたくさんのことを学べるね

高校生の大谷翔平

高校生の頃の大谷翔平
引用元:web Sportiva

大谷翔平選手の高校生の頃の画像もありました。

大谷翔平選手は、3年先輩の花巻東高校のエース、菊池雄星さんに憧れて同校へ進学しました。

花巻東高校での寮生活は、自身が大きく変わるきっかけになったと語る大谷翔平選手。

親以外の指導者にいろんなことを教えてもらえる環境が、彼を大きく成長させたようです。

にゃお

中学まではお父さんが指導者だったもんね!

「先入観を捨てることによって不可能が可能になる」というのは、高校時代の佐々木監督の教え。

「高校で160km/h投げる」というあまりに高い目標を監督と掲げた大谷翔平選手は、大会でそれを有言実行してみせます。

スコアボードに表示された「160キロ」という赤い文字に、場内の観客は釘付けになりました。

ちゅー

不可能が可能になった瞬間だね!

そんな偉業を成し遂げた大谷翔平選手ですが、高校時代は怪我にも見舞われ、甲子園の舞台で1勝もできず悔しい結果に。

高校3年生の夏の大会で敗北した翌日には、後輩のためにグラウンドの草むしりをする大谷翔平選手の姿がありました。

大谷翔平選手が大谷翔平選手である所以は、こういったところにあるのでしょうね。

大谷翔平の幼少期の伝説エピソード!

ここで、大谷翔平選手の幼少期の伝説エピソードを紹介します!

ホームラン球が信号機にクリーンヒット!

中学生の頃の大谷翔平
引用元:奥州市公式ホームページ

大谷翔平選手が当時中学1年生、一関リトルシニアに所属していた時の出来事です。

大谷翔平選手の放った打球は特大アーチでそのまま場外へ

なんと、道路の歩行者信号に直撃してしまいました!

ちゅー

どこまで飛んでいくの~!?

この時の推定飛距離は約120mで、プロでもホームランが難しいとされる札幌ドームでスタンドイン可能な距離

中学生とは思えないバッティング力ですね。

大谷翔平選手が少年時代に放った本塁打を、父であり監督である徹さんは何本も見てきました。

その中でも、この時のホームランが一番大きかったといいます。

寝たら起きないマイペース少年

大谷翔平選手は幼少期からとにかくよく寝ていたとのこと。

遊んで帰ってくると、それで一日の体力を使い果たしてしまったのか、ぷっつりと電池が切れてしまったようにソファで熟睡。

そうなるともう、呼びかけようと揺すろうと起きることはなく、父親に運ばれそのまま朝まで寝てしまったそうです。

にゃお

寝る子は育つ…?笑

大人になった今でも、寝ることは得意だという大谷翔平選手。

直近では、奥様を同伴した遠征で、韓国行きの航空機内で11時間爆睡したんだとか。

どんな状況下でも揺るがない睡眠力に、ドジャースのロバーツ監督も驚愕の声を上げました。

ちゅー

体調管理のプロだね!

水泳でオリンピックを目指せる男

小学生の頃の大谷翔平
引用元:朝日新聞デジタル

幼少期からスイミングを習っていた大谷翔平選手。

トレーニングに水泳を取り入れていた花巻東高校の佐々木監督曰く、「大谷は泳ぐのが本当に速い」のだそう。

その実力は水泳部のコーチに「オリンピックを目指せる」と言わせるほど。

にゃお

何をやらせてもプロ並みってこと!?

ちゅー

もしかしたら水泳で世界記録を叩き出してる世界線があったかも…!

とにかく身体能力がずば抜けて高く、スポーツマンとして逸材だということがわかりますね!

大谷翔平のプロ入り当時の画像

大谷翔平選手のプロ入り当時の画像がこちらです。

日本ハムの入団会見時の大谷翔平
引用元:朝日新聞デジタル

大谷翔平選手は2012年、北海道日本ハムファイターズからドラフト1位で指名を受けます。

当時、海外球団からも注目され、ドジャースやレッドソックスなど複数球団との面談を行っていました。

メジャーリーグへの憧れを強く抱いた大谷翔平選手は、記者会見を開き、メジャーリーグへの挑戦を表明。

国内球団への入団について「可能性はゼロ」としました。

にゃお

そこまで言い切るなんて、よっぽどの決意だよね

そんな中、強行指名に踏み切ったのが日本ハムファイターズでした

指名に感謝しつつも「アメリカでやりたいという気持ちは変わらない」と、大谷翔平選手は揺るがない意志を示します

面会を断られても諦めずに繰り返し訪問し、両親を交えた入団交渉も4回行うなど、日本ハム側も揺るがない熱意を伝え続けます。

そんな大谷翔平選手の心が日本ハムに向く大きな要因になったのは、「夢への道しるべ」とされた30ページに及ぶ小冊子でした。

そこには、18歳で海外に渡りメジャーリーグへと昇格することがいかに困難な道であるかということ、

日本球団を経て海外へと渡り、メジャーリーグで活躍する日本人選手がどんな道を辿ったかということが、実例をもとにまとめられていました。

ちゅー

大谷選手が望む未来への道を、具体的に提示してみせたんだね!

そんな怒涛の入団交渉を経て、大谷翔平選手は日本ハムに入団

「二刀流」の選手として試合に出場し、投打ともに活躍していきます。

2017年12月にメジャーリーグのエンゼルスと契約、2023年12月にドジャースへの移籍を発表し、現在に至ります。

数々の偉業を成し遂げていく大谷翔平選手を、これからも応援していきましょう!

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